起業するきっかけ
うちの母アンマー(トミちゃん)が趣味で作っていたジーマーミ豆腐。
ただその時は、まだ何気なく食べていた母が作っていたジーマーミ豆腐に過ぎませんでした。その当時、私は、38歳2002年不動産に従事して14年目を迎えて、自分自身天職だと思うほど不動産の仕事が大好きでした。
在職していた会社も、その時の代表者も、共に学び、共に前に進んでいくといった姿勢もとても好きでした。
しかしながら、30歳の頃からやるからには独立したいと心に決めていた目標も持っていました。
動産の仕事はやり甲斐もあり好きでしたが、一つのことに囚われず、色々な視点から色々な分野を考え、独立したいと言う独立心は人一倍持っていた様に思います。 しかし、ただただ独立したいと漠然としていたことも事実です。 その証拠として、保育園の経営の勉強をしてみたり(姉が保育士の資格を持っていたから)色々なフランチャイズの資料を取り寄せしてみたり、漫画喫茶店のFC展開の仕組みづくりをしてみたりと他にも色々と模索をしていました。今思えば、焦りと思えるような笑えることばかりやっていたように思います。その当時は、儲け主義が先行していただけの考えだけにすぎませんでした。(儲け主義が悪いとは言っていませんよ) そんな中でも、「40歳には独立する」という目標はしっかり持っていました。
「あなたの生きてきた意味は?あなたの使命は何ですか?」
在職していた会社ではその頃、社員教育を徹底して取り組み始めるようになり、社風・経営理念、ビジョンの明確化の必要性、など改めて見直し始めていました。
マインド=仕組み作りに重きを置き、色々なカリキュラムの勉強会などにも参加させてもらいました。
当時は、統括営業部長として役職をいただき職務に励んでいた私でしたが正直仕事だけに集中させて欲しいと思う気持ちで最初は嫌々ながら参加していた事もありました。
しかしある勉強会で、今までの私の考え方がどれほど浅はかな考え方だったのだろうかと頭を大きなハンマーか何かで殴られる様なそんな衝撃を受けたカリキュラムに出会いました。
それは、「あなたの生きてきた意味は?あなたの使命は何ですか?」の問いかけでした。
他の人はその課題に黙々と取り組んでいましたが、何故か私には、途方もなく答えが出せないような大きな課題として心に残りました。
振り返ってみると、不動産で独立をすると言う選択肢もただ、それなりの経験値があり、宅地建物取引士の資格を持っていたから、独立するには、やり易い、やり方がわかる、といった私自身からすると参入障壁が比較的低く見えていた業種にすぎなかったからなのだと思い始めました。
それでも、必死に不動産で独立するイメージを固めようと、ミッション(使命)バリュー(価値)ビジョン(夢)を創り上げようとする自分がいました。
と同時に私がやる必要があるのか?私じゃなきゃダメなのか?とか様々な思いが葛藤し始めていきました。
不思議なことに、その時は、明るい未来に向かって走っていくと言うイメージよりも、暗いトンネルに入っていく様な心境だったように思えるほど何故か不動産で独立を考えれば考えるほど私の足は立ち止まってしまっていたのです。
真剣に考えれば考えるほど、理由が後付けでくっついていく様なそんな心境でもありました。
そんな時です、日頃、何気なく食べていた母の作っていたジーマーミ豆腐が私の目の前で止まったのです。
私は、母に訪ねました。ジーマーミ豆腐ってなんねーと。
母は沖縄に昔からあるピーナッツで作る豆腐さぁーと答えてくれました。
本当に、母が作ったジーマーミ豆腐は美味しくて母の友人達の間でも評判がよかったのです。
私はジーマーミ豆腐の事を何気に調べてみました。
すると、沖縄が琉球王朝時代に宮廷菓子として扱われるほどの郷土料理の1つと記されていました。そんなに昔からある食材でこんなに美味しいのは凄いなと思い、次は、量販店に行き、片っ端から売っているジーマーミ豆腐を買い求めました。
その時に、私は1つの道筋を見つけ、目標を示す決意が出来たように思います。
母が作る昔ながらの作り方で、ジーマーミ豆腐を多くの人に食べてもらいたい、沖縄のお土産品として創り上げたいと。2004年私が40歳の時でした。
重ねて申し上げますが、その時私が想い描いた事は、
「母の作る昔ながらの造り方でもっと多くの方にジーマーミ豆腐を食べてもらいたい。」
「ジーマーミ豆腐を通して人々の健康のお役に立ちたい。」という事。
そして、「沖縄のお土産品として創り上げられたらどれほど楽しいだろうか!」と強く想いはじめました。
ジーマーミ豆腐屋になると決意した時、何のためにやるのか、(目標)自分の使命(ビジョン)バリュー(価値)がすんなりと私の中に落ちてきたことを今でも忘れません。
ついに決意・・・! そして感謝。
2004年5月、当時私が勤めていた会社の社長と鹿児島県の屋久島に登る機会があり、島田社長(当時)は「お互いの人生を決めに行こう。」と言ってくれました。
沖縄に戻り、3日後私はこれからの人生をジーマーミ豆腐屋として生きていきたいと伝えました。
2004年6月に退職を決意し、16年従事していた不動産業に一旦ピリオドをうち、2004年7月に自宅の台所から作り方から教わり創業することとなりました。きっかけを作ってくれた母(トミちゃん)には本当に感謝しております。そして島田社長の元で色々な気づきや、学ぶことの大切さを教わったことに感謝しております。
「美味しくてあたりまえ」をモットーに!
創業時に決めたこと(ビジョン)はたくさんありますがその中の2つだけ紹介させて頂きたいと思います。
1.商品名をトミちゃんのジーマーミ豆腐にする。
2.店舗工房を構えたとき、店舗名をトミ家工房にする。
です。
そして、創業当初から多くの仲間や友人たちがトミちゃんのジーマーミ豆腐を本当に支えてくれました。お客様からも多くのアドバイスを頂きました。
本当に心より感謝しております。
最後になりますが、私の使命は、その人たちに、そして多くの仲間たち、これから出会うであろう多くの人たちにジーマーミ豆腐を通して健康のお役立ちになりたいと固く決意しております。
そして、そのことが、私の恩返しになると思っています。
長々となりましたが、お読みいただき誠にありがとうございました。
これからも「美味しくてあたりまえ」をモットーにトミ家工房スタッフ一同、地域に必要とされる商品造り、店舗造りを心がけ精進していきますのでどうぞよろしくお願いいたします。
有限会社 ファイヴプロジェクト
手造りの店 トミ家工房
代表取締役 永井 達也